伝言板
亀井さんー、もし見てたらメールくださいー。
お知らせしたいことがありますー。
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図書館って、洋書の絵本も置いてあったよなー。それでたしか何年か前に英語以外の絵本にも力入れてて、ボランティアか何かで訳つけてなかったっけ?
と思って覗いてみたら、いかにもドイツ語~な背表紙を発見。まあ、英語でしたが、これは…と著者のプロフィールを見ると、やはりスイスのひとで、元はドイツ語みたい。
というか、この本も著者もすごく有名らしい。知らなかった! ちょっと前に石川で展覧会してたそうです。
日本語版(小さいサイズもあり。訳は石井桃子さん)
まず手にとって、絵がかわいいー。犬びいきなわたしでもやられるぞ。そして、ぴっちをはじめ、名前がかわいいー。ぴっちの家族が、Mauli、Ruli、Grigri、Groggi とかね。お利口な犬も登場していて、こちらは Bello。
お話は、きょうだい猫とは一風変わったぴっちがほかの動物になりたがって、「わあ、いいな!」と近寄っていっては、「やっぱりだめだ!」をくりかえすのですが……。この過程がね、ぴっちがまっすぐで気持ちいい。
で、これ、ちょっと驚いたのですが、ぴっち、猫なわけじゃない? だからやっぱりほかの動物の真似するのも無理があるわけで、大変な目にあって、重病になってしまうんです。病気……。飼い主というか一緒に暮らしているおばあさんはもちろん、それまで会ってきた動物たちもすっかりぴっちのことを好きになってるから(読み手のわたしも)すごく心配して、みんなお見舞いに来てぼろぼろ泣いてる子までいる。
でも最後は、思わず顔がにっこりする終わり方です。
この本は "Der Geburtstag"/『たんじょうび』の続編だそうで、そちらも読んでみました。おばあさんの誕生日をみんなで祝う、こちらは犬のベロが活躍する話です。最後にちょっと、ぴっちが出てくるんだけど、そのときは続編のことは考えてなかったそうです。
図書館に入ってすぐ、新刊コーナーのところを通りすぎようとしたら、この本が目に入りました。
図鑑という名だけあって5センチはありそうな分厚さ、そこにこのタイトルがきたら、そりゃあ目に留まりますわ。手にとりますわ。
書影からおわかりのとおり、元は英語の本です。イギリスかな? 監訳者覚え書きを見ると、紹介されている本を読んでみようと思う読者のために、邦訳がある本の情報にこまかく気をつかったそうで、これは手間がかかってる。というか、1001冊の本を選び抜いた原書自体、すごい労力だ……。しかも、『墓場鬼太郎』までとりあげられている、とある。まんがも含めて、なんです。
それで、おお、日本のはどんなのがあるのかなーと、人名索引を見てみると、うーん、面白い。
安野光雅
佐野洋子
せな けいこ
手塚治虫
鳥山明
藤子不二雄
まどみちお
水木しげる
宮崎駿
宮沢賢治
どの作品が選ばれているかは、ぜひご自身で確認してみてください~。ほかに作者不詳として、おとぎ草紙と桃太郎がありました。わたしとしては佐野洋子さんの『100万回死んだねこ』が熱っぽく紹介されててニヤつきました。
さて、こうなるとドイツ語ものがどうなっているか気になる。調べてみましたよ、原題がドイツ語になってるものを。
結果は、さすがに日本より多いですね、50冊。そのうち邦訳が出ているのが34。日本の児童書業界はすごいですね。全体をばーっと見ても、1001冊のうちかなりが訳されてます。
ドイツ語圏の作品、せっかく調べてメモもとったのですが、ここに全部書きだしてしまうのも気がひけるので一部だけ。
まずは絵本が6冊。
Die lustige Tante
ねこぼっこ
Was denkt die Maus am Donnerstag?
にぎやか色のちび
おやすみ、くまくん
うんちしたのはだれよ!
グリム童話、ヴィルヘルム・ブッシュ、ハイジ……あたりの古典から、わたしの好きなホッツェンプロッツとフンケももちろんあります。ケストナーは1冊、エンデが2冊。この2冊って、あれとあれだと思うでしょうが、それじゃないんですよ。
登場数が一番多いのが、共に3作の、クリスティーネ・ネストリンガーとユッタ・リヒター。すみません、両者とも知らなかった。面白そうなので読みます。
ほかに現代の作品で、邦訳があるのは、
赤いUの秘密
ひいおじいさんとぼく
おばあちゃん
日曜日だけのママ
海賊の心臓
幸せを待ちながら
67番地の子どもたち
赤毛のゾラ
あのころはフリードリヒがいた
あの年の春は早くきた
みえない雲
世界がまだ若かったころ
50冊のリスト見たいひとがいたら、送りますよ?
献血に行ってきました。
行こう行こうと思っていて、つい後回しにしちゃってたんですよね。まあ、それというのも、ずーっと前に献血しようとしたらその日の体調がいまいちって断られたことがあって、まただめだったらなんかやだなあという気持ちがあるにはあったんです。で、今度こそ、初献血を、と。
用紙に記入しながら質問を受けてたら、1980年以降に一定期間ヨーロッパ、アジアにいたことがあるか、という質問が。
狂牛病やらクロイツフェルト・ヤコブ病やらの関係で、イギリスにいた人に制限があるのは聞いてた。でも、ドイツだしなー、かなり前だしなー。言わなくていいかなー、たぶん大丈夫だろうけど、一応言っておこうかな。
そして、結果……だめだった。いや、2005年以降ならいいんだって。そのころには対策が立てられたってことなんだろうね。でも、1980~2004年に半年以上滞在してた場合は、献血、念のためにできないらしい。ちょっとショック。
ほかにもいろいろ決まりがあるみたいで、献血できる人って思った以上に少ないんだなと思った。時間が経てば制限が緩和されるだろうから、またお願いしますと言ってもらいました。
というわけで、最初の一文、正確には献血センターに行ってきました、なのでした。
いやな予感はあたり、2度目の断念。いまだ1度もできず。縁がないのか、いつか献血はできるのか。
地元の上毛新聞に書いた文、3回目です。
http://www.raijin.com/news/kikaku/opinion2012/opinion20120331.html
(紙面ではちゃんとなっていたのですが、独文がおかしくなっているところがあります)
あのー、日本人が英語ができないのは使う機会がないからだとか言うじゃないですか。この場合の「使う」って「話す」って意味で使われているんだろうけど、もっといろいろあるんじゃないでしょうかね?
それに、使う機会もさることながら、「あ、これ使えるんだ」って実感も必要なんだと思います。「こういうふうに言えるんだ」とか「これ使えそう!」とかそういう経験があると、答えとして合ってるかどうかだけ考えてたときよりも、言葉に厚みが出るというか、ただの字だったものに立体感が出るんじゃないですかね?
というようなことを考えながら書きました。
もったいないなあ、それ、せっかく使えるのにっていうね。
メールは hasefutaあgmail.com まで。
<訳書>
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